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人生

人生、いくらでも幸せになれる

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俺は今、幸せに生きている。そう聞くと、「孤独な無職中年独身男性なのに?」と思う向きもいるかも知れない。だがこれは、嘘や強がり等では決して無い。ちょっとした、ともすれば簡単とも言える工夫をすれば、大体の人は幸せを手に入れられると考えている。

今回は、独自の幸福論を示す。ただ、人によっては別な考え方や方法等があるかも知れない。それで好転しているならそれでいい。

基本、自分次第

生まれつきの性格とか育ってきた境遇等により、何の努力もせずに幸福を覚えられるなら、それでいいだろう。

しかし、そうでないなら、変化が求められる。以下の3点が肝だ。

1. 意識して、積極的になろうとする

例えば、何か食べたとする。その時、特に何とも思わなかったり、「うまいな」程度で済ませるので無く、意図的に「幸せだ」と感じるようにするのである。これは頭の中のみでもいいし、実際に口に出しても構わない。ある意味、「脳を騙す」とも言えよう。

慣れないうちは面倒で疲れるかも知れないが、一度癖として定着すれば、後は自然と「ネタ」を探す様になる。事実、俺はこの手法を採用してから、ちょっとした事でも幸せを感じられる様になった。

2. 現状を受け入れ、その中で幸せを探す

が、上記を読んで、一つの疑問が湧く。「長い人生、辛く苦しい事だってあるし、明らかに不幸な時もあるだろ」と。至極当然である。その場合は、まずは現状を受け入れる。その上で、何か好材料が無いか模索し、ちょっとしたものでいいからそれを手掛かりにするのだ。不幸を完全に排除出来れば一番だが、難しければ代わりに幸福度を嵩上げしていく。

具体的には、今の俺は孤独な無職独身で、確かにこの状態全てに満足している訳で無い。しかしそんな中でも、光明はある。風雨を凌げる部屋に住んでいるし、日々インターネットを楽しめるし、何より生きているじゃないかと、続々と思い付く。なので、他人と話す機会が無いとか、彼女が欲しいとか、多少のフラストレーションはあるものの、相対的には充実しているのだ。

3. 他人は無関係

身内の希望とか、社会一般の見方とかに捕らわれてはいけない。あくまで、自分が基準なのだ。無論、法に抵触したり、社会秩序を著しく乱す等はいけない。

深く考えず周囲に忖度し過ぎて、「他人が考える幸せに沿っていれば、まず安心」となってしまうと、往々にして問題の元になり得る。一例としては、結婚が幸せと考えている親とその子どもが挙げられる。自分は乗り気で無かったが、「親がそう言うのなら、そうすべきなのだろう」とお見合いの席を設けてもらい、結婚した。しかし、本人は相手をそこまで好きだった訳で無く、共同生活の中で次第にズレや綻びが生じ、最後に離婚してしまう、という様な成り行きだ。

もし自分の基準があれば、外野がどう思おうが、「この人が好きだから結婚する」となるだろう。または、「俺は独身の方が良い」という選択肢も候補になる。当然、己に従っても失敗する恐れはある。さりとて、そうなったとしても、他者の意向に偏重したケースに比べれば、断然納得出来るのではなかろうか。

現在をどのように生きるべきか

何かと世知辛い昨今である。不安要素としては、俺も含まれる就職氷河期世代の雇用事情とか、少子高齢化とか、年金支給年齢の引き上げとか、それこそ沢山ある。そんな中でも、安易に死ぬわけにはいかない。時として、艱難辛苦もあるだろう。皆が漏れなく100%幸せになるのは、困難かも知れない。だが、少しでも自分なりの幸福を見つけられれば、それが日々の救いとなり、精神状態の改善やストレスの低減に寄与し、程度の差こそあれ、人生が前向きになるだろう。結果、そういう人達が増えれば、社会全体も良い方向に向かっていくと勝手に予想している。

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