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人生

友人がいないのは、いけない事か

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俺には現在、友人がいない。最後にいたのは、20代のほんの初期の頃と記憶している。何故俺には友人がいないのか。そして、それはいけない事なのか。今回、自分なりに思う所を書きたい。

その関係は、本当に友達なのか

幼稚園から高校まで振り返れば、友達は少なかった。そして、いじめられてもいた。

高校卒業後、中学時代の同級生グループと偶然再開し、遊ぶ様になった。だが、その中には過去に俺をいじめていた者も数人いた。正直、遺恨はあったが、独りの寂しさもあり、「過去は水に流そう」と自分に言い聞かせてつるんだ。

当時、俺はバイトをしていたのだが、複数の「友達」がそこに目をつけ、入れ替わり立ち替わり金を貸す様に要求してきた。当時の俺は、「友達だし、向こうも返すと言っているから、問題無い」と判断し、貸した。すると、金を返すどころか、更に要求してきた。返金を求めると、「絶対返すから」とヘラヘラしたり、「返すと言っているだろう」と逆ギレする等、のらりくらり躱(かわ)され続けた。結果、戻ってくる事は終(つい)に無かった。

果たして、その様な関係の相手は友達と言えるのだろうか。俺は自問自答し、苦悩の挙げ句、自ら絶縁した。金は、サンクコスト(埋没費用)と割り切った。以来、現在に至る迄、友人はいない。

運の要素もある

結婚や就職等もそうだが、人間関係に恵まれるのは、運の要素による側面が多分にあるだろう。他者はどうか知らないが、俺の場合は身を持って痛感してきた。いくらこちらが胸襟を開いて丁寧に気を遣って相手を理解しよう・受け入れようと努力しても、結構な頻度でそれが実を結ぶ事は叶わなかったからだ。(無論、それは「完全に俺の方に非があった結果」の可能性もあるが、今となっては検証のしようが無い。)

だが、時の経過と共に、「換言すれば、自分では最早どうしようも無い面もあり、それらに抵抗・執着するのは時間・手間の徒労」と発想を変え、次第に納得出来る様になった。差詰、「人事を尽くして天命を待つ」に似たような心境か、或いは、「悟りの境地」と言えるかも知れない。

優先すべきは、己の人生

友達がいるのは貴重で尊いと思う。だが、それは結局、互いの関係性が良好であってこそのものだと考える。以前の俺の様に、淋しさから相手の言いなりになってまで関係を維持・継続させようとすれば疲弊・消耗し、ひいては自分の人生において真に優先すべき物事が見えなくなる。

結婚然り、「独りよりはマシ」と思い詰め、誰彼構わず一緒になるのもまた、人生だろう。但し、「自身の人生を毀損し夢や目標等の枷(かせ)になるならば、関係を精算し、残りの時間と労力を己の為に有意義に費やした方が良い」、と検討する余地・選択肢があるのと無いのとでは、雲泥の差がある。事実、俺はその様に検討した後に決断し、友人関係によるストレスから解放されたのだから。俺の現時点での結論は、「友人の有無の是非は、詰まる所、各々の人生の文脈により異なる」である。

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