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幸福論

過度に他者と比べるな

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人間生きていれば、どうしても周囲の他者と自分を比較する事はあるだろう。ましてや、人類史上例をみない今日の世界的な情報化社会である。如何に多数が常に互いに比べ合っているか想像に難くない。その結果、メリットもあればデメリットもある。個人的には、それは程度やバランスの問題だと考える。行き過ぎた他人との比較は、人生の質を著しく貶める恐れがある。

自己否定に陥りやすくなる

例えば、世間の平均年収と自分のそれを比べた場合。世間が年収1,000万円、対する自分は500万円としてみる。ここで、「自分も何とか給料を上げられないか」と適度に奮起したり、「上を見ればキリが無いし、興味無い」等と深く拘らなければ、精神的圧力等は少ないと思う。だが、逆に程度やバランスを欠いて過度に比べてしまうと、「周りは稼いでいるのに、自分は何と駄目なんだ」等と自己否定し、心理的に辛く暗澹となる恐れを多分に孕むだろう。

他にも例を挙げれば、受験、就職、結婚等々、いろいろと思い浮かぶ。確かに「競争社会」と揶揄されるように、周囲と競い合う場面はあるだろう。だが、そのような時でも、自身に悪影響を及ぼしてまで過度に他者と比較するのは問題とみる。

上手く利用し、手本にしろ

過度な比較は弊害もあるが、一方で程度・バランスを弁えたそれは、時に自分の利に寄与する可能性を秘める。

例えば、自分は話し方が苦手だとして、自分よりも上手い人間がいるとする。その際、感情的に嫉妬や僻み等を持つのでなく、何か自分に参考に出来る部分はないかと冷静に観察してみる。すると、自分と比べて話す速度が適度とか、目線の動きが違う等と、いろいろ発見する。そうして自分のロールモデルとして自らも真似して実践してみると、以前よりも話し方が上手くなる可能性は十分あるだろう。

また、反面教師としても利用出来る。寝癖がそのままだったり服装がだらしなかったりの人間を見て、貶めたりマウンティング等するのでなく、「ああいう姿には、好感を覚えない。自分は身なりに気を付け、清潔感を大事にしよう」等と思えれば、他山の石として自己意識を強めるきっかけに出来得る。

他にも、勉強のコツや仕事の要領、対人折衝等、創意工夫で応用出来る対象は多数ある。

結局、自分なりに生きればいい

他者に出来て自分に出来ない事なぞ、それこそ星の数程あるだろう。それら一つ一つにいちいちムキに拘泥し精神を擦り減らしていては、疲弊・消耗してしまう。人の欲求には、際限が無いのだ。それよりは、可能な限り自分の為になる比較に留め、最終的には自分なりに生きる事に注力し、クオリティオブライフ(人生の質)の向上に努めたい。その方が余程無理難題に対して諦めもつくし、精神を縛る見えない鎖から解かれ、結果、より自由になれるだろう。

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